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朝駆け

日々、感じたことを自由に書きます。

悲しいね、人類 2

最近断捨離をしている。
最近私のツイッターを見てくださっている方はご存知かもしれないが、実は私、かなりの頻度で断捨離をしている。実はね。

メールではてなが「一年前こんなブログ書いてたよ」と教えてくれた。
「こんなGWになるなんて少し前まで考えられなかったわ」という文章である。
(書き進めるのが遅くなって今公開してるが、書き始めたのはGWあたりであると述べさせてもらおう)

その時も断捨離をしていたようだ。もの、どれだけあるの。
手放したものたちはここ一年で増えたものではなく、少なくとも数年、ほとんどは引っ越ししてきた時のまま片付けられていたものだ。つまり、「これはおいとこ」と思ったものたちがだんだん「手放そうかな」と、気持ちが変化したということなのである。

今回断捨離するにあたって、これまでは手をつけていなかったものに手をつけたので、順に書いていきたい。

まずは家族の服、かばん。
これは勝手に捨てたのではなく、家族に「これは?」「これは?」と逐一確認した。「昔これ着てたね」という久しぶりの服にも出会ったが、どうしても傷んでいたり、サイズ、デザインが今着るとなると浮いてしまうので、手放した。「こんな可愛いカバン持ってたのね」といった出会いもあった。

そして次は、食器類。
これも私もの、ではないので逐一確認した。お刺身皿や取り皿、「お店?」と思うくらいたくさんあった。しかしこの家に来て使ったことのないものがほとんどだった。懐かしいものや、お気に入り、だいたい3セットくらいを最大として手放すことにした。

次にコード類。
魔界である。魔界であるが故、「LANケーブルはたくさんあったところで困らないし…」「これはなんの充電コードなんだ?捨てていいのか?」と悩みながら手放した。そもそも2.3年もそこに片付けているのに困って探さない時点でそんなに必要ではない、はずだと思う。

ゲーム等の包装箱。
これは毎回残していたものだ。そして気付いたのは私自身が「何かを買った時点で既に売るときのことを考えていること」である。なぜ包装箱を残すのだろうか?あまり考えて残していたことはなかったが、「売る時に箱があった方が高く売れる」というザックリとした知識からくるものだと思う。ゲーム、カメラの箱。
(あと収納用に残していたが空のままだった靴の包装箱も手放した。これも「収納に使えるかも」という意識からだと思う。)
多分手元に残しておくから売ることはきっとないだろうね、とやっと分かったのだと思う。必要ではないな、と気づけたのだ。

そして棚、たんす類である。
こういった類のものは、「どこへ移動させるか」は考えたことがあっても、手放すことは考えていなかった。しかし、断捨離をし、ものが減っていく中で単純にその棚を使うイメージが持てなくなってしまった。親も使わないのであれば手放そうと決めることができた。

そして雑誌類もファイリングをした。スッキリはしたが、バインダーやリフィルを揃えるのにそれなりのお金がかかってしまったのと、やっぱりちょっと味気なくなった。(どちらを選ぶか、ですね。)

言い訳がましくなってしまうが、物を手放すことに関して、葛藤がないわけではない。ずっと使い続けていた物も多いし、愛着もある。

家族の共有スペースも含め、大体あと1割ほど、見直したいスペースが残っている。元々綺麗好きではないので、こういった断捨離は自分のモードが切り替わっている時にやってしまうのに限る。

2021年の目標の一つに、「部屋の断捨離」があったのだが、達成できそうで嬉しい。あともう少し、我が家と向き合ってみようとおもう。


なんていいながら、手放していく中で「これは要るな」気付くこと。それを通して「私は生きたいんだな」と改めて自覚したいのかもしれない。

何も楽しい予定がない日々は、キツい。