朝駆け

日々、感じたことを自由に書きます。

本日のこばなし:習い事たくさん期

 

みなさん、お久しぶりです。おゆです。

 

最近気づいたことをまとめると、

わたし自身が不安になるときは、小学生のときの記憶と強く重なる時である、ということがわかりました。

 

わたしにとって、小学生のころというのはとっても楽しいものでしたが、それと同時にとても重たいものでした。

以下、書き出してみました。

 

 

わたしは幼稚園から、小学校高学年までたくさんの習い事をしていました。

水泳であったりピアノであったり英語塾であったりほぼ毎日習い事に通っていました。

 

またわたしは運動神経が全く得意ではないし、音楽についても特に秀でてない(なによりも恥ずかしさが勝つ)子で、

なにをやるにしても、平均よりかなり下というところから始まっていました。

 

習い事の一つとして、水泳を習っていたのですが、頑張っても早い子には追いつけないし、そもそも平均にもなれないし。年下の子たちにも負けることがしょっちゅうでした。わたしにとって、これらの習い事は、努力すれば上手くなる、というものではありませんでした。そもそもついていくことが難しかったのです。その中にずっといることによって、

『どうせ勝てへんわ』とか『サボりたいな』

という気持ちが生まれてきます。これは年齢があがるとより思ってしまう、考えてしまう割合が増えると思います(幼稚園よりも、高学年のほうがサボることを考えやすいと思います)。

そして習い事が苦痛になります。この場合は水泳ですね。まあ全ての習い事が嫌でした。

 

行きたくないという気持ちが強くなるのに、行かないといけない。当たり前のことですが、嫌々続ければさらに上達は遠のいてしまうのです。

その嫌々な状態が何年か続いた頃、とある事情があり、親が

『辞めたい習い事あったら、辞めてええで』

と私に伝えてきました。

 

よっしゃ!!

 

とわたしは思い、一つの習い事を残し、全部やめました。5年続けているものもあり、その当時が11歳くらいだったのでほぼ人生の半分習ってきた。そんな習い事たちをわたしはポーイと捨ててしまったわけです。

親が私に大量に使ってくれていたお金と共に、わたしはポーイと習い事やめました。

 

そこからはもう毎日が天国でした。幸せでした。なにしろほぼ毎日習い事にでかけていましたから。

そして数年経って残り一つの習い事も辞めて、わたしは習い事をなにもしていない状態になりました。

現在もそうです。習い事一つもやってません。

 

 

特に意識したことがなかったのですが、

自分の中でかなり暗い、重たいメンタルの要素を含んでいるのがこの

"習い事たくさん期"

なんだなあ、と最近気づきました。

 

今であれば親がわたしの未来を広げるためにたくさんの手間と時間、お金をかけてくれていたということを理解できます。ですが子供にはわかりません。

『なんでこんなにいじわるするんやろ?』『こんなんいややわ』という気持ちしかないのです。

親は厳しい人だったので、言葉で分かりやすく伝えるだとか、わたしのためだよとかは伝えてくれませんでした(あたりまえですね笑)。

習い事をたくさんさせてくれたことにはもちろん感謝はしています。でも、習い事をして、それがなにも結果として残らなかった場合の子供のメンタル要素としての不安

『わたしはなにもできひん子なんやな』とか『期待してもらったのにあかんかったなあ』とか『負担しかかけられへん子なんやなあ』とか、『期待に応えられへんかったなあ』とか。

それがどんどん重なって行きます。

『また期待に応えられへんかったわ』『ほんまにあかん子やわ』『なにしに生きてるんやろ?』といった具合にまで落ちます。(わたしは落ちました)

 

さて、わたしがなにを伝えたいか、というと

親の行動によって、いい事でも

子供を追い詰めてしまう負担になることがある、ということです。(わたしに才能と努力が足りなかっただけなんですけどね笑)

 

自分のことを振り返ったときに、一番不安になるのは

『わたしはなにも成長できていないんだなあ。結局小学生のまま、なにも結果をだせないわたしのままなんだ』と思ってしまうときです。

『期待してもらったのに、申し訳ないな』という気持ちが溢れてきてしまうのです。

 

こういうわたしのように変なところで拗らせた考え方をしてしまう成長をしてしまわないように、

教育ママさんたちはもうすこし子供が大きくなったときの考え方、というのをもう一度考え直してほしいなあ、と思います。

とっても結論の矛先がブーメランですね笑 

たくさん与えて、与えて、与えて、それだけなら誰でもできるんですよ。それがダメだったときの心のケアというか、子供たちが受け取りやすいような考え方を示してあげるのが愛情なのではないかと思います。

(小学生の前にインターに通わせている親が多いですが、そういうのも結局エゴなところが多くて、愛情がペラペラに見えます。やるなら、ちゃんとサポートして一生ものにしてあげてください。着せ替え人形、おもちゃではないのですから。)

 

 

 

 

P.S

わたしは遅刻魔です。

ほんとうに遅刻魔です。遅刻をしたいわけではないのに気づいたらしてしまいます。ギリギリまで時間を使ってしまいます。早く待ち合わせ場所についたりするのがあまり好きではありません(できたらいいなーとは思います)。

 

今回自分の小さいころを振り返っていて思い出したのですが、

習い事に行きたくなくて、『どれだれ家にいることができるか』ということを毎日考えていたことを思い出しました。

目的地への最短ルートはどこなのか、この番組のエンディングが終わったら出かけないと!とか

早く習い事教室に着きたくなかったのを鮮明に覚えています。

もし、わたしが習い事大好きで、習い事の教室にできるだけ早くつきたい!30分前に絶対到着してたい!と思うことができていたなら、

わたしの遅刻癖は生まれなかったのでは??と今ふと思いました笑

言い訳です 笑

 

 

 

 

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